覆面選挙カーの独り言



その1
 まずはこれまでの流れをおおまかに説明しますが、何から話していいやらわからないですね。 というかいったいこいつは何の話をしようとしているのかっつー疑問があるかと思うんですけど、アニメです。 アニメっつーか二次元世界? オタクワールド? まあなんだっていいです。 興味なかったら飛ばしちゃって下さい、暇人の独り言だと思って。
 努めて「アニメ好きなヤツって訳わからん言葉使いすぎ」と思ってる人にも分かるように書きますんで。 最終的には現在放送中の『ギャラクシーエンジェル』の話にもっていこうかと思ってるんですが、どうなるか分かりません。 違う方向に流れるかもしれませんし途中で頓挫するかもしれませんが、まあこれも現代社会の一つの教養だと思って耳の穴かっぽじってかるーく聞き流してください。
 ええとですね、まずこれはアニメだけの話じゃないと思うんですが、作品を魅力的に見せる為の手段の一つとして「魅力的なキャラクターを登場させる」という方法がありますよね。 単純な話ですが。 それで「じゃあ魅力的なキャラクターって何?」って話になると思うんですが、臆面も無く言わせて頂ければ、まずはセックスアピールなわけです(「セックスアピールって何?」っていう人は検索サイトででも[マリリンモンロー セックスシンボル]とかで検索してみて下さい)。 しかしセックスアピールっつっても地上波で裸のねーちゃん出す訳にもいきませんので、そのへんは社会倫理とか放送コードとか苦情の数とかで「ここまでにしとこう」ってことになるわけです。 で、今の所は「ミニスカまでならいいだろう、深夜なら半裸までならいいんじゃないか」ということになってるようなのですね。 えらく話を単純化してしまいましたがこれが一番シンプルな「キャラに魅力を感じる」ということだと思います。
 ここからが本題。 世の中で異性に対して感じる魅力が多様化し細分化されていくように、アニメのキャラに対して感じる魅力も多様化し細分化されてきたのであります。 「個人の好みがバラバラになっていく」ってことですね。それはもうありとあらゆる対象が好みとなる訳です。 それはキャラクターの容姿を始めとして性格、声、喋り方、身長、体格、胸の大きさ、コスチューム、アイテム、アクセサリー、生い立ち、基本色、髪の色、肌の色、人種、種族、テンション、知性、はたまたキャラクターの好み自体が好みの対象とされることもあったり、逆にセックスアピールが希薄であることが魅力的であるとされることだってあるわけで、それはもう「お前らミスコンの審査員か?」と言いたくなるほど細分化、先鋭化されてるわけです。 それでですね、ここで「こんな好みがある、とか、具体的にこういうキャラクターがいる」って話は無限に続いてしまう恐れがあるので止めておきます(興味がある人はグーグルとかで[萌え属性]とかで検索してみて下さい)。 とにかく上に挙げたいろんな要素を組み合わせてキャラクターってのは出来あがるわけです。
2002/11/11(Mon) 14:35

その2
 さて、作り上げるキャラクターが1人の場合はその時の流行と自分の好みから着せ替え人形の様に要素を組んで視聴者好みのするキャラクターを作ればいいわけですが、、、実際は違いますよね。 登場人物1名ポッキリ、なんて作品はまずないでしょう。 複数のキャラクターが登場するわけですね。 じゃ複数のキャラクターを登場させるメリットって何でしょう? まずキャラが二人以上いれば会話が成立しますね。 それから視聴者の好みが様々だっていう前提から間口を広げることにもなる、というのは分かって頂けると思います。
 それでですね、一番重要なメリットの話に移る前に質問です。 キャラクターが複数いることで発生する一番大きなデメリットは何ですか? まあこれはいくつか答えが存在するのかもしれませんが、単純にテレビのバラエティー番組とかを参考に考えて下さい。 ハイ時間切れ。
 答え:キャラがかぶること。
 とりあえずこれこれを後ろに人がいないのを確認してからちらっと見てください。
 よくばり過ぎたり、「キャラは多ければ多いほど良い」なんて安易な発想だとこういうことになります。 キャラ多すぎて見分けつかなかったり名前覚えてもらえないってのはアイドルグループとかにもありがちな落とし穴ですね。 まあ見る側が必要だと思わなきゃそれが辻だろうが加護だろうがどっちでもよかったりするんですけど。
 でもでも、申し訳無いですけどさっきの2つもう1回見てみて下さい。 再度後方を確認してから。 キャラが無駄に多いなりに区別してもらう努力はしてるんです。 パッと見て何が区別の判断材料になります? 髪ですよね。 「何をどうしたらそんな髪の色になるんだ」というツッコミを入れたくなる気持は重々分かりますが、ここは「なぜそうする必要はあるのか」ということを考えて頂きたいと思います。 ここが今回のツボです。 「キャラクターとは存在それだけではなく、周囲との対比によって成り立つものである」ということです。 一番分かり易い例として髪の色を挙げましたが、これは幼児向けの戦隊ものを思い出して頂きたい。 「なんとかレッド」がいて「うんたらブルー」 「あんたらイエロー」 「かんたらピンク」等がいて、性格はそれぞれ、実直熱血、ニヒルでクール、間抜けだけどイイ奴、職場のアイドルであったりします。 つまりカラーごとにイメージがあるわけですね。 あれ? もう一人って何色だっけ、、、まあいいや。 とにかくそれは先程挙げた様々な要素の対比であってもいいわけです。 他にいくつか要素を挙げると、背が高いー低い、服装がフォーマルーカジュアルといったところですかね。
 キャラクター内面に関しては作品を見なければ分かりにくいと思いますが、外観に関しては納得して頂けるのではないでしょうか。 蛇足になりますが、主要キャラクター人数は3人〜7人の範囲が適当で無難なのは5人のようです。5人と言えばやっぱりこれこれでしょうか。 発想は戦隊ものからきているので当然と言えば当然のような気もしますが。 あ、後から増えたのか、そうだった。
2002/11/11(Mon) 14:36

その3
 今回は「主人公」についてです。 ええと、3と4の一部はしろありさんとの議論(馬鹿話とも言う)の中で生まれたものなんでとりあえず謝辞。 ありがと。
 さて、今回お話しようと思っている「主人公」っていうのはアニメでもマンガでもギャルゲーでも人気がある「主人公(男)がいてその周りに可愛い女の子が複数」っていうものです。 いわゆるラブコメです。 現実世界でこういうハーレム状態を体験しようと思ったら高いお金を払ってキャバクラとかそういう類のお店に行くか、様々な面で自分を鍛えて本当に魅力的な人間になる必要があるのですが、二次元世界ではちょっとのお金、もしくはタダでそれがお手軽に体験できるわけですね(良い悪いは知らん)。 そんで、その「周りの女の子複数」に関しては「その2」で少し述べたので今回は「主人公」。
 えーと、まずは「ハーレム状態」の変遷について説明したいと思います。 80年代を代表する「ハーレム状態」作品と言えば『うる星やつら』だと思うのですが、80年代後半にはあの宮崎某が引き起こした事件によりオタク界が鳴りを潜めた時期でもあり、その「ハーレム状態」も例外ではなかったということです。 「変遷」と申しましたが、そういう意味では80年代と90年以降のオタク文化が断絶している部分が多々あります。 しかし宮崎事件が過去のものとなった90年代後半にはそれまで抑圧さていた欲望が一気に噴出し、そのような欲望の対象が存在するということを知らずにいた層も巻き込んで発展しました。 つまり身もフタもない作品がどっと出現し、なぜか世間からそんなに大きな批判を受けなかった(というかあきれてものも言えなかったのか?)ことで市場が急速拡大したわけです。
 なんか脱線した気がしますが、それでは80年代、90年代、新世紀、と「主人公」というものはどのような変化を見せたのでしょうか。 『うる星やつら』の主人公、「諸星あたる」というキャラクターは男性消費者の欲望をストレートに表していました。 スケベ丸出し、品性ゼロ、積極性、向こう見ずな行動、強い自己主張、といった現実社会ではとてもではないが個人が持つことができない性格を有すことで消費者(と言うとカッコイイがつまりはやっぱりオタクだ)にとってのスーパーマンであったわけです。 オタク云々とは少しずれるけれど『ドラゴンボール』の悟空もスーパーマン的存在ですよね。 そしてもちろん、そのようなキャラクターは形を変えつつ今日も産出され続けています。
2002/11/14(Thu) 17:07

その4
 さて、積極性があり自己主張のあるキャラクターが完全にメインストリームとして定着すると、マンネリ化が起こります。 そうすると当然それに対するアンチテーゼが生まれるわけです。 スーパーマン的存在、もしくはアイドルというものは憧れの対象であり、自分の手の届かないところにあるわけです。 そのような理想は理想としてあっていいのだけれど、「主人公」同士の競争が過熱すると「主人公」は超人化せざるを得なくなり、そうすると理想がどんどん遠くなり、理想としてのリアリティがなくなってしまったわけです。 また、そのような大きな理想、大きな物語に飽きを感じるどころか、オウム真理教の一連の事件(リンク貼る必要ないですよね)から、大きな物語に対する警戒が強まったのかもしれません(今回なぜか社会派。。。)。
 そこで「日常性」がもてはやされるようになり、時流に乗って出現したのが「そのへんにいそうな主人公」であります。 「モーニング娘。」を始めとする「隣に住んでそうな女の子系のアイドル」の出現も同様の理由ではないかと思いますが。 二次元世界においては私にはその起源を特定することはできませんが、推測で言えばギャルゲー、エロゲーではないかな、と考えています。
 それまでのゲームは主人公が画面内に存在し、プレーヤーが主人公を操作するという方式がスタンダードだったのですが、特にエロゲーにおいてはプレーヤーの「もっと主人公に同化したい!」というニーズ(って言うとまたカッコイイんだけどつまりは欲望)があって、そこで、画面内から極力主人公を排除し、女の子が画面内から「こっち」に向かって語りかける(媚を売る)という手法が発明されたわけです。
 この手法はやや時間が経ってからですがアニメやマンガにも適用されました。 アニメやマンガにおいては作品中から物理的に主人公を排除するという手法は成立しにくいのですが、作り手は主人公の主張や積極性、存在感を極力排除することで受け手が主人公に移入しやすくするという折衷策をもってこの問題をクリアしました。 最終的には、主人公は主張もせず努力もせず存在感もない、だけどなぜか女の子はみんな主人公に惹かれている、というもう一つの王道パターンが成立することとなりました。 主人公の自我を抹殺し内面を空洞化することで受け手の自己統一化を容易なものとしたわけです。
 細かいことになりますが女の子達は「主人公に惹かれている」のであって「主人公にメロメロ」ではないということもポイント。 このあたりも巧みに(姑息に)日常性からの導入がなされているわけです。 あと、リアリティリアリティと騒いでも女性キャラクターには全く現実感はありません。 代表作をあげろと言われれば『ラブひな』しかないでしょう。このリンク先見てもらえれば主人公がトロツキーばりの扱いを受けていることが分かっていただけるかと。
2002/11/14(Thu) 17:12

その5
 さて、やっと今回は『ギャラクシーエンジェル』(以下GAと略)の話です。 GAは一言で言えば「アニメ版ショムニ」です。 ワケワカンナイって?
 『ショムニ』(「ファイナル」は特に)において見られた傾向は「バブル期に馳せるノスタルジー」と「グローバリズムもしくは効率化に対するささやかな抵抗」で、それはつまりOLという存在が不必要になって行く時代の流れへの意義申立てであると言えます。
 フォロー。 OLが不必要とされる=女性が不必要とされる、ではなく、むしろ1人の社員として扱おうとするあるべき姿勢。 フォロー終わり。
 しかしながら、その地位に甘んじていた(甘んじざるを得なかった?)OLさん達にすればたまったものではないでしょう。 地位を利用してうっしっしな思いをしていたおじさん達もいたわけですが。 このドラマのターゲットはそんなOLさん達とおじさん達。 私としては、グローバリズムや効率化の是非を保留としても、幻想と分かりきった幻想にしがみつくこのドラマ、非常に痛々しかったです(「美少女アニメの方が100倍痛い」という声が聞こえるが、これ多分幻聴)。
 毎回の如く前置き長くなりましたが、ここから本題。 GAにおいてはこの痛々しさは多少自覚的に作られている、というかその痛々しさがこのギャグアニメの柱かもしれません。 ええっと、やるまいやるまいと思ってたんですがここからは作品の内容やキャラクターについて少し具体的に(具体例なしで全てを説明する能力はやはりなかったようで)。 GAとは、
 1、ジャンルを言うなら美少女ギャグアニメ。
 2、メインキャラは5人の女の子。
 3、目的はどうでもいいんだけど5人は軍のエンジェル隊メンバー。
 4、「ウォルコット中佐」(おっと、こっちだった)が管理職。
 エンジェル隊解散後、軍内で居場所を無くしリストラされそうに。そこで5人を再召集。 ショムニで言うと「森本レオ」がやってた「管理職であっても上司では決してない」存在。
 5、軍内部からは常にエンジェル隊の存在意義を問う意見が出ている模様。
 6、で、隊の5人なんだけど、これは、、、分からない言葉は検索して下さい。
 天然元気系(無意識に毒舌)
 アイドル系(意識的に毒舌)
 ギャル系(二次元にハマリ気味)
 綾波系(ぼそっと毒舌)
 背高いボーイッシュ(リーダーぽい)。
 7、お約束でマスコットが隊にはいるが定石をはずして全く可愛くない。
 8、つまり総合的に言えば、落ち目のアイドル集団の逆襲、ってとこ。
2002/11/16(Sat) 01:10

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