その4
さて、積極性があり自己主張のあるキャラクターが完全にメインストリームとして定着すると、マンネリ化が起こります。 そうすると当然それに対するアンチテーゼが生まれるわけです。 スーパーマン的存在、もしくはアイドルというものは憧れの対象であり、自分の手の届かないところにあるわけです。 そのような理想は理想としてあっていいのだけれど、「主人公」同士の競争が過熱すると「主人公」は超人化せざるを得なくなり、そうすると理想がどんどん遠くなり、理想としてのリアリティがなくなってしまったわけです。 また、そのような大きな理想、大きな物語に飽きを感じるどころか、オウム真理教の一連の事件(リンク貼る必要ないですよね)から、大きな物語に対する警戒が強まったのかもしれません(今回なぜか社会派。。。)。
そこで「日常性」がもてはやされるようになり、時流に乗って出現したのが「そのへんにいそうな主人公」であります。 「モーニング娘。」を始めとする「隣に住んでそうな女の子系のアイドル」の出現も同様の理由ではないかと思いますが。 二次元世界においては私にはその起源を特定することはできませんが、推測で言えばギャルゲー、エロゲーではないかな、と考えています。
それまでのゲームは主人公が画面内に存在し、プレーヤーが主人公を操作するという方式がスタンダードだったのですが、特にエロゲーにおいてはプレーヤーの「もっと主人公に同化したい!」というニーズ(って言うとまたカッコイイんだけどつまりは欲望)があって、そこで、画面内から極力主人公を排除し、女の子が画面内から「こっち」に向かって語りかける(媚を売る)という手法が発明されたわけです。
この手法はやや時間が経ってからですがアニメやマンガにも適用されました。 アニメやマンガにおいては作品中から物理的に主人公を排除するという手法は成立しにくいのですが、作り手は主人公の主張や積極性、存在感を極力排除することで受け手が主人公に移入しやすくするという折衷策をもってこの問題をクリアしました。 最終的には、主人公は主張もせず努力もせず存在感もない、だけどなぜか女の子はみんな主人公に惹かれている、というもう一つの王道パターンが成立することとなりました。 主人公の自我を抹殺し内面を空洞化することで受け手の自己統一化を容易なものとしたわけです。
細かいことになりますが女の子達は「主人公に惹かれている」のであって「主人公にメロメロ」ではないということもポイント。 このあたりも巧みに(姑息に)日常性からの導入がなされているわけです。 あと、リアリティリアリティと騒いでも女性キャラクターには全く現実感はありません。 代表作をあげろと言われれば『ラブひな』しかないでしょう。このリンク先見てもらえれば主人公がトロツキーばりの扱いを受けていることが分かっていただけるかと。
2002/11/14(Thu) 17:12
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