覆面選挙カーの独り言



その11
 正確な定義は無理として、イメージ、イメージ。 おたくっつーと? アニメにマンガ、それにゲームにパソコンですか? それに対して文学オタクとか映画オタクとなると少しイメージ良くなりますかね? 音楽やTVに関しては時間とお金をどれだけつぎ込んでもオタクとは呼ばれない? でもモーヲタ(「モーニング娘。」おたく、のこと)てのもある? 電車オタクとかバイクオタクというのも時々聞く? 「?」を使ったのはもちろん「です・ます・だ」等の言葉を使いたくないからです。 くどいようですがあまりにも人によって意味合いやたぶんイメージさえ違ってくる。 しかしこれでは「人それぞれ」で終わってしまうので、ここは思いっきり乱暴に行きます。
 アニメ、マンガ、ゲーム、アイドル。 これに関しては自分のイメージを投影し易いことで一致しています。 悪く言えば自分の妄想を脳内で実現化し易いということです。 文学オタクや映画オタクという言葉が前者に比べてやや良いイメージを持っているのは、大学や日常会話という開かれた場において論じられることが多いから、また、受け手に対して媚びない姿勢が全体的にあるからでしょう。 それでは家に閉じこもって自分の世界観に合う作品だけしか受けない文学好き、映画好きは? 私はこれはオタクと呼んでいいと思います。
 では逆はどうか。 すなわちアニメ・マンガ・ゲーム・アイドル好きが自分の世界観と相反する作品を積極的に受け入れ、日常会話において一般的な話題として還元する能力を有するならば? マンガとゲームに関しては私はオタクと呼ぶのは適当でないことはあると思います。 特にマンガにおいては文学や映画と同等かもしくはそれ以上に内容が多種多様だから。 まあ、実際考えて「ジャンプ」とか「マガジン」読んでてオタク呼ばわりされることはないでしょう。「電撃」とか「エース」だったらどうかは知りませんが。
2003/01/08(Wed) 04:16

その12
 それに対して、アニメとアイドルというのは全体的に作品の題材の幅があまりにも狭い。 アニメの場合、ロボットと魔法と冒険とアクションとラブコメと、宇宙人と称する美(少)女・美少年で8割ぐらいが埋まってしまう。 そこには時には政治的な問題や受け手に問題を付きつける要素が付随していることはあります。 しかし映画、マンガ、文学と比べると明らかにメタファーであれ現実とリンクして描かれるスペースが欠如している。 ……これではしょうがないでしょう、、、アニメ好き=オタクと言われても。。。
 ゲームとなると少し微妙です。 エロゲー、ギャルゲー=オタク、でいいとして(いいだろ)迷うのはRPGです。 どうなんでしょう、これ。 私としては保留とするしかないのですが、ただアニメと比べると人物観よりも世界観へ入りこむ媒体なのかな?
 アイドル、、、ねぇ、、、私はアイドルに関する知識は皆無なのですが、「知識が皆無」なのになんとなく像が思い浮かんでしまうというのは、やはりあり方の幅が狭いということでしょうか。 文学や映画や音楽だと上記の用に乱暴にひとくくりにして語られる事は少ないというわけで。 それはつまり上記のような要素は一部にはあるのかもしれないけれど全体を見れば「多種多様=健全」といったところでしょうか。 これはつまり何かに対して「オタク的」である、と言う場合の多くは、特定の作品に対してではなく、その媒体全体に対して言っていることが多いということでもあります。
2003/01/08(Wed) 04:17

その13
 別視点から。 PCに関してですが、今時「yahoo!」のページ見ててオタク呼ばわりする人間がいたとしたらただの世間知らずでしょう(4、5年前だと結構いたもんですが)。 バーチャネットアイドルのページなんか見てたらどうかは知りませんが。 よく言われる事ですが「PCは道具にすぎない」ということです。 同様にいくら毎日電車に乗っていようとも通勤電車に乗る人間を鉄道オタクとは呼ばない。 半ヘルで新聞配ってるお兄さんもバイクオタクではありません。
 じゃ、どういう人をオタクと言うかというと、PCだと、普通に買えば安いのにわざわざ自作してみたり、必要以上にCPUがどーだ、クロックがどうだ、回線速度がどうだ、みたいなことを言う人でしょうか。 鉄道マニアだと、用も無いのに(あるのか?)田舎まで行ったり、聞いてもいないのにこれはキハうんたらだ、時刻表のダイヤがどうだ、とか言う人。 バイクだと用も無いのに夜中乗りまわしてみたり(これは違うか)、どうせ免停なのにトルクがどうだ、ストロークがどうだ、空気抵抗がどうだとか言う人です。
 この「必要外のことにこだわる」のがポイント。 必要内のこととは生活が要求することであり、また場合によっては職業上必要とされることであります。 つまり現実社会と密接にリンクしている部分です。 必要外のことをわざわざやるというのは良く言えばこだわり、悪く言えば逃避。 なのですが、必要外・必要内のラインは近年ますます流動的で曖昧であるのでそこまで問題はないかもしれません。 個人的にはPCにしろバイクにしろ(それから家とか服とかも)「カスタマイズ」することは前向きだと思いますし。
2003/01/08(Wed) 04:18

その14
 さらに別視点から。 多分このあたりが「メジャー・マイナー」に関することの入り口となるかと思いますが、アニメ・マンガ・ゲーム・パソコン・アイドル・電車・バイク。 これらの「オタク的な部分」(これ自体曖昧ですが、なんとなくで、なんとなく)を意識して並べた時、なにかしらのアンチテーゼを(ニュートラルな意味で)感じ取れないでしょうか。 つまり、TVにおけるフィクションという枠の中ではアニメはドラマに対して、出版物という枠の中ではマンガは活字媒体に対して、(これは強引ですが)世界観のリアリティという枠の中ではゲームはリアルな世界観そのものに対して、通信媒体という枠の中ではパソコンはTVに対して、芸能界という枠の中ではアイドルはタレントやミュージシャンに対して、輸送機関という枠の中では電車は道路上を走るものに対して、道路上という枠の中ではバイクは車に対して、それぞれ対抗するものとして存在している、、、部分が、、、無きにしもあらずかと。 かなり弱気ですけど、一面から見れば、ということで。 位置付け、とでもいいましょうか。 そこには何らかの記号的要素もあるのではないかと。
 例えばですね、話はずれますけど「尾崎豊」の『15の夜』って歌知ってます? 「盗んだバイクで走り出す」っていう歌詞なんですけど、彼を全く知らない人でも歌詞見ただけでも「ああ、反抗がテーマね」って思うはずです。 それはなぜかというと15歳のガキが「盗んだバイクで走りだす」なんて(日本では)「反抗」以外ありえないからです。 これが「盗んだ自転車で走り出す」ではなんというか反抗の態度としてはちょっと貧弱だし、「盗んだ車で走り出す」となるとちょっと冗談では済まないというか、反抗というよりかはむしろ犯罪の臭いがします。 また、盗んだのはバイクでもこれが30代、40代となると、何かすごく悲惨な生活が読み取れてしまう。 「卒業」という歌にしても同じです。 「夜の校舎窓ガラス壊して回った」という歌詞は、高校生が「夜の校舎窓ガラス壊して回った」から「反抗」として位置付けられるのであり、先生が「夜の校舎窓ガラス壊して回った」り、社会人が「夜のオフィス窓ガラス壊して回った」り、また高校生であっても「夜の校舎更衣室漁って回った」りすると意味合いが全然違ってきます。
2003/01/08(Wed) 04:19

その15
 アニメ・マンガ・ゲーム・パソコン・アイドル・電車・バイクにしろ、その位置付けとは単体としてそこに存在するものではなく、対抗するなにかしら体制的な存在抜きには成り立たないわけです。 オタク的なものとしては。 そこにはまずメジャーなものに対する対抗意識とか怨念とかがあって、その後オリジナリティやら付加価値やらが付け加えられる。 ただし、例えば軍国主義から民主主義に移行してから時間が経てば民主主義はもはや軍国主義に対するアンチテーゼでもなんでもなくなるのと同じように、マイナーな勢力が力をつけてある程度のフィールドを占拠してしまえばもはやそれはマイナーでもなんでもない。 現にあれほどPTAやらマスコミやらに叩かれたはずのマンガを、マイナーだ、などと言う人はもういないでしょう。
 マンガがマイナーだと言われる時、それは表現や文化という枠ではなく、マンガという枠の中でメジャーだとかマイナーだとか言われる訳で、それこそ意味合いの変化であり位置付けの変化なわけです。 マンガという媒体はその意味では抜きん出ています。
2003/01/08(Wed) 04:20

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